2024年は、あっという間だったような、長かったような。とにかく早く終わればいいのに、なんてことばかり考えていたような気がします。ここ1年の記憶は茫漠としていて、今年だっけ、去年だっけ、いつだったっけ、みたいなところもあったりして。今整理してみると大きなイベントは数えるほどですが、それで大変だったっぽいんだよな。
去年リジェクトされた論文をT先生と相談して去年の暮れに再投稿。それがまぁいろいろ面倒で、まぁ学会誌も医療系論文が中心なので、がっつり社会科学系、それも法解釈だったりすると、ちょっとね、なところもあったんでしょう。
でもT先生がいろいろ動いてくれて、原著論文ではだめでしたが、その他ってカテゴリーで何とか掲載してもらえました。5月発行(ってことになっていますが、もうちょっと後だったと思う)の74巻2号に。T先生、どうもありがとうございました。
T先生は、内容が内容なだけにみんないろいろ言ってくると思いますよー、なんて言ってたんですが、少なくとも半年経った年末の今のタイミングまで、何も聞こえてこず。黙殺されちゃったんでしょうかねぇ。まぁ、致し方ない。
で、ワタクシの本来業務といいますか、博士論文ですが、新しい年度になる前の3月あたりから作業開始。ちょうどその頃、学内のポスター発表なんかもあり、年明けからバタバタしていて、まぁそれの勢いに乗って、という気持ちもあったんですが、一つのイベントが終わるとがっくり疲れちゃって、そのまま次にってことにはならないのが残念なところ。でも、最終学年でもありますし、論文を出さないと満期退学になっちゃうって注意が事務室から回ってきたりもして(留年って制度はないの?)、ちょい焦ります。
指導教員に下書きを送って、コメントをもらって、直して、な繰り返し。S先生には面倒をかけたなぁ。先生の直しというか、日本語の語彙とか、文章のセンスがもうボクにとっては異次元で、恐れ入ることばかりでした。あの博覧強記な感じと文章能力にはもう恐れ入るばかりです。こんな人に指導してもらえるんだから、J大に来てよかったなぁ。
そんなこんなで何となくとげとげしい感じ(焦ってたからさ)で時間は経ち、10月の半ばに学会誌に投稿できました。それで事務室にも論文審査の申請を依頼。でも博士論文は英語論文であることが要件なのですが、日本語論文なので、日本語である理由書を指導教員に書いてもらって、さらに質的研究なので、審査してもらう教員の選定も少し手間取ったっぽい。さらに、11月の終わりに審査の予定だったのに、テーマがちょっと異質なので、外部識者に審査依頼するので、審査は年明けの1月の終わりごろって話になっちゃって、なんか宙ぶらりんな感じに。審査用のプレゼン準備しろよって話なんですけど、気が抜けちゃった感じになって、まだ完成していないんですが、年明けの1/6に先生に送るって話にしてきたので、それに向けて鋭意努力中です。オオカミ少年にならないようにせねば。
あと、健康診断でピロリ菌が引っかかってしまい、除菌のために今所属しているJ大の病院にしばらく通いました。無事に除菌成功。胃カメラ飲んだりして、ちょっと大変だったけど、初めての経験が多くて、面白かったな。
それ以外は何があったっけかなぁ、と思うと、記憶がうすぼんやりとしていて、正直あまり覚えていません。社長も、父親も、ネコもまぁまぁ元気だったし。ただ、いろいろなものが値上げになったりして、鍼灸も翻訳も商売的には少し大変。でも時代の転換点にいることは肌で感じますねぇ。
今年は論文中心の生活だったので、まぁこんな感じでしょう。まぁまぁいい1年でした。来年もこの調子でいい1年でありますように。